2009年1月19日月曜日

えずくるしい

 「ほっこり」のところで登場した京都の人と話をしていたらその中に「えずくるしい」という言葉が出てきた。京都の人(以下、京)「うちの主人が言わはるんです。柳も桜の咲く頃のうす緑のときはええ感じやが、6月頃になるとえずくるしいなるなあて、・・この『えずくるしい』というのは他の言葉で言うたらどういうことになりますやろな。」私「うーん。暑苦しいとか、嫌味とか。要するにほどほどでなくて、ようけ有り過ぎるようなことと違いますか。」京「つまり度が過ぎるということですか。」私「あ、そうですそうです。度が過ぎるという言葉がぴったりですなあ。・・・タレントで言うたらルー大柴みたいな感じかなあ。」京「あ、ルー大柴ね。ほんまやね。」というようことになって、「えずくるしい」は「ルー大柴」さんということになりました。私は、ルー大柴さん好きです。

ほっこり

 短歌の会で・・・「家族みんなで寄せ鍋を食べて・・心もほっこり・・・」という内容の作品に出会った。この「ほっこり」はくつろぐとか癒される、ホッとするの意味に使われているようだ。私の子供の頃は「ああ、ほっこりした。」というと「疲れた」という意味だった。遠足などで遠歩きしてきて家に帰ってくると「ほっこりしたやろ。ゆっくりしときや。」と母に言われたものだ。この「ほっこり」、気になったので私よりもやや年上の京都の人に聞いてみた。そうすると、歌に使われていた意味、「ホッとする」「和む」「癒される」などの意味だと答えが返ってきた。それで、本来の意味は「疲れた」では?と言ってみると、「あ、そうやったかも知れん」となって、だんだん思い出されたようだ。「ほっこり」は、滋賀県では使っていたし、京都でも聞いた。大阪などはどうか知らないが、大体が京言葉のようである。しかし、時代と共にその意味は変化してきているようだ。

けなるい

 この「けなるい」は「けなりい」とも言う。京都で生活した人は、というより或る年代以上の人はよく知っていると思う。ちなみにわが息子でも(三十代)この言葉の意味を知らない。簡単に言えば「うらやましい」ということになるが、京都の齢のいった人に聞くともう少し巾のある言葉だという。うらやましいにプラス憧憬とかが籠っているようだ。

ストローベイル

 一昨日、テレビを見ていたら稲を刈ったあと、藁を自動的に梱包する機械というのか稲刈機の映像が映り、これは見たことがあるなあと思っていたら、その梱包した藁を積み上げて家を作る人が出てきた。
 ストローベイルハウスというのだそうである。この藁のブロック状に固めたものをいくつも積み上げて家の形にし、その上から外壁はモルタル状のものを塗り固め、内側はまた別の木材とかで仕上げるようだ。夏涼しく冬暖かいだろうなと考えていたら、テレビの解説のひともそう言っていた。場所さえ(土地)許せばこういう家を建てたいものだと思った。ただ、実際に私の近くで実物を見たことはない。そして、私の目にモルタルと見えたものは珪藻土というものを塗るらしい。ますます興味津々です。

だんこんの

 団塊の世代という言葉がある。「だんかいのせだい」だが、これを「だんこんの・・・」と言う人に会ったことがある。女の人で、それも二人も!大きくはっきりと「だんこんの・・・」と言われるので誤りを指摘しにくかったのを憶えている。
 私はこの団塊の世代よりも二年早く生れている。(団塊世代は、太平洋戦争が終って、戦地(外地)に行っていた男達が一斉に帰ってきたことにより、その結果としてのベビーブームである。それは終戦後3,4年続いた。)昨日の東京マラソン、テレビで見ているとこの世代とおぼしき人たちがたくさん走っていた。エネルギーあふれる世代である。

かもか

 田辺聖子の小説が朝の連続テレビドラマになって、かもかのおっちゃんがブームだ。「かもか」は広辞苑には載っていない。講談社の語源辞典にも載っていない。ただ一つ国際文化研究センター(と名乗るサイト)の「妖怪辞典」に「カモカ」は載っている。この2月の始めに仔犬が我が家に来て以来、私も時々かもかのおっちゃんになっている。仔犬は歯の伸びかけのためか、足や手を咬んで仕方がない。「痛たた・・こら、お前も咬んだろか、咬もか、咬もか、かもか・・・」と大きな声で言いながら仔犬を追い回している。

おいど

 或る短歌の会、或る方の作品の中に「尻」という文字があり、これを「いしき」と読むのだと作者から説明があった。「尻(いしき)」である。尻は「しり」や「けつ」、また今の「いしき(日常使う言葉ではない。)」と言う他に、昔京都で丁稚奉公(こんな言葉も死語になりつつある。)をしていた時代に「おいど」というのをよく聞いた。この「おいど」はおいどの大きいおばさんが使う時に生き生きとする言葉だ。 しかし「おいど」は何故「おいど」と言うのか?
 この言葉を調べてみたくなった。愛用の広辞苑には:「おいど」婦人語【御居処】、これだけしか載っていない。「おいど」は「御居処」と書くことが分かった。居は居ること、座ることの意味である。身体のなかで座るときに一番使う箇所(処)は尻である。おいどは尻のこととなる。 しかし、現在では京都でもあまり耳にしない。強いて京都っ子がる人が使うぐらいではないか?因みに短歌作品の中に出てきた「いしき」は、「居敷き」と書き、着物の尻の部分などに補強の為にする「あて布」のことを言う言葉らしい。これが尻を遠まわしに言いたい時に使うようになったらしい。

マルチセル雷雲

 最近、都市での短時間ゲリラ豪雨による水害被害が多い。「ゲリラ豪雨」という言葉は大体意味が理解できるが、このゲリラ豪雨が何故起こるかについての説明の中で出てきた「マルチセル雷雲」という言葉はよく分からない。言葉を分解すると「マルチ」は「多数の」や「種々の」という意味である。「セル」は画像処理ソフトなどで「セルのプロパティ」などと言う、あのセルと理解していいのだろう。「表」を構成する一つ一つのマスのこと、つまり一つの塊の最小単位のことである。(近所の天気予報士に聞いたら、積乱雲のことを「セル」というのだそうだ。)で、「マルチセル雷雲」であるが、通常、雷雲は一個ずつ発生することが多い。一個の雷雲(つまり「セル」)は30分~1時間程激しい雷雨をもたらす。しかし、これが「マルチ」だと次から次へと雷雲が重なって同じところを通り過ぎるため、激しい雷雨が一箇所に何時間も続くことになり、洪水などの被害が出るのだという。そして最近はこの「マルチセル」型の雷雲がよく発生するという。都市でのヒートアイランド現象なども関係しているのだろうか。以上、今朝の「トクダネ」テレビの天気予報士、天達さんが言っていた「マルチセル雷雲」という言葉から考えたことです。

ヒズボラ

 最近、ニュースでよく耳にする「ヒズボラ」という言葉、これはイラクでイスラエルと対立しているイスラム過激派とは別派のようだ。今日はこのヒズボラを探検する。
 「ヒズボラ」とはイスラエルの北にあるレバノン(あまり知らない)のイスラム教の組織であることが分かった。イスラム教にもたくさんの「派」があり、(これは日本の仏教でも浄土真宗とか天台宗とか、真言宗などとあるのと同じなのだろうか。)ヒズボラというのは、「親イラン・シーア派民兵組織」のことであるという。

ワンド

 「崎と浦」の探検から関連してこの「ワンド」を探検。淀川の川辺でこのワンドという言葉がよく使われていることは知っておりました。
 念のため「広辞苑」で調べるとわん-ど【湾処】。入り江。と載っている。広辞苑ではカタカナ語ではない。
 ネットで検索した結果、リンクフリーの「国土交通省 近畿地方整備局 淀川河川事務所」のホームページにリンクさせていただきました。ワンドは生き物の宝庫とも言えそうです。釣り人にとっては絶好の場所のようです。

崎と浦

 先日の吟行会での万葉歌碑の歌、「思乍 雖来々不勝而 水尾崎 真長乃浦乎 又顧津」思ひつつ来れど来かねて水尾が崎真長の浦をまたかへり見つこの水尾が崎や、真長乃浦が現在の何処であるか、ということは興味の深い問題だった。それと同時に崎と浦の地形的な使い分けについて考えた。水尾が崎は今の白鬚神社のあるところだという。白鬚神社のあるところは現在でも明神崎と地図にあり、「崎」である。
 この崎を広辞苑で調べると(ネット検索ではあまりヒットしない。)、【崎】陸地が海に突き出た尖端。岬。山が突き出た尖端。・・・とある。では真長乃浦はどうか、これは今の場所でいうとどの辺りなのか、というと、今回お昼ごはんを食べた近江白浜やそのつながりにある萩の浜の辺りらしい。浦というと、私の印象としては「湾」のように陸地がへこんでいる場所かなと思ったが、ここの白浜や萩の浜の辺りを見ればもう少し広い範囲、「浜辺」というくらいの意味もありそうだ。広辞苑を調べると、【浦】海や湖の湾曲して陸地に入り込んだ所。一般に海辺。また、みずぎわ。・・・とある。
 一昨年の吟行で行った中主町の紫式部の歌碑、「おいつ島しまもる神やいさむらん浪もさわがぬわらわべの浦」この歌碑のあった「あやめ浜」の地形もここの白浜や萩の浜のような地形だった。やや内側へ向かって湾曲はしているが、広い浜辺という印象の場所だったのだ。崎と浦、さらに多くの歌で検証を続けたい。

いたいけな

 この「いたいけな」という言葉、「いたいけな子供・・・」という使い方はよく知っているが、最近読んだ本に「いたいけない子供・・・」という使い方がされていた。
 「えっ!いたいけない・・??」と思った。こんな使い方が出来る言葉だったのかしらん?
 今日はこの「いたいけな」を探検。(上の写真は、わがホームページ仲間の秋佳さんがアメリカで撮影してきたデジカメの広告です。)
 広辞苑では
いたい-け[幼気]①小さくて愛すべきさま。美しくかわいらしいさま。『七つになる子が--な事言うた』〈狂言歌謡〉②子供などのいじらしくいたいたしいさま。あわれむべきさま。「--な遺児」--ざかり[幼気盛]子供のきわめてかわいい年頃。--す[幼気す]『自サ変』いたいけなさまをしている。弁内侍日記「小さくて--したるを」
となっていて、これは私の思っていたことと同じ意味、使い方だった。

 しかし、角川の「必携国語辞典」では、
いたいけ【幼気】[形動]子供が幼くて、弱々しく痛々しいようす。またあどけなくいじらしいようす。いたいけない。「遺児の--な姿がなみだをさそう」
となっている。この辞書には「いたいけない」が載っている。またずいぶん古い(昭和40年刊)「明解新式事典」(光文書院)には、
いたいけ[幼気]よわよわしく愛すべきさま。・・・・として、その後、英語訳でdarling(ダーリン)とあった。

 この「ダーリン」を「外国から来た新語辞典」で引くと「かわいい人、愛しい君、お前、あなた」である。いたいけな・・の意味、使い方も時代と共に変化するのか?

ミサンガ

「莫大小を読めない孫とミサンガを問ふ吾と時代の流れ思ふ日」一昨日の探検項目「莫大小」はこの短歌からお借りしたのですが、第三句の「ミサンガ」というのも私は知りませんでした。今日はこれを探検します。なお、この短歌は「滋賀県歌人協会」の「全員一首」に載っています。私の古い版の広辞苑には載っていない。カタカナ語辞典には・・「プロミス・リング」とある。プロミス・リングとは何ぞ?更にカタカナ語辞典で調べる・・「手首に巻きつけるひも状のリボン」とある。なるほど!そう云えばそういうものを手首に巻いている人を見たことがある。ネット検索すれば実物も見えるだろう。
 「ミサンガ」私はしません。手首に数珠を巻きつけている人もいますが、こういうことも私はしません。腕時計でもすぐ外したい方だから。

莫大小

 ある人の短歌にこの「莫大小」が出ていた。「ん?バクダイショウって何??」というのが今回の探検です。「莫大小」とは「メリヤス」のことなのだという。現代では「メリヤスって何?」という若い人もいるような気がするが、私の年代はメリヤスは分かる。でもこれを「莫大小」と書くのは恥ずかしながら知らなかった。メリヤスを何故「莫大小」と言うか?。これは「莫大小」でネット検索すると出ている。

すみれの語源

 さくらの語源を探検した次の日、またラジオで天気予報の人がスミレの語源について話しているのを聞いた。 それによるとスミレは大工さんが木材に線を引くときに使う墨入れ(墨壺)に形が似ているため、「スミイレ」が「スミレ」に転化したのだという。 しかし、この墨壺とスミレの花、そんなに似ていますかね~?

さくらの語源

 いまが見ごろの(雨多いけど)桜、先日クルマでラジオを聴いていたら、天気予報の人がこの「さくら」の語源を語っていた。それは桜が咲く時期は農作業の始まる時期と重なり、農耕民族である日本では大事な食べ物である稲作の開始時期に開花する桜を神と同一視したことは想像に難くない。そして語源であるが、さくらの「さ」は、早乙女や、さみどり、と同じく接頭語で、「くら」は神さまの宿る場所という意味があり、神様は春になると山からおりて来て大切な食べ物の実る場所である田圃へとお出ましになる。その途中で一休みをされる場所が桜の樹なのである。つまり神様は「山」→「さくら」→「田」という順序で人間の近くへ来られる・・・というもの。イミダスにはのっていない。例えば、人を勧誘する時におとりの客(ニセモノの客)を用意しておくことを「さくら」という。これは桜は「ただ」で見ることが出来るので、ただで見る客をさくらというようになった・・・など(広辞苑)今年のさくらは雨によく降られています。神様も雨に濡れて寒いかも知れません。お酒でもお供えしてあたためてあげねば・・・・

たぬきうどん

 先日、小田原駅でうどんを食べた。駅によくある先ず食券を買うタイプのもの。うしろに人が大勢並んでいたので、あまり考えずに「たぬきうどん」を買った。 すぐに丼が出てきて、食べ始めた。「たぬきうどん」がどんなものか、私は知らなかった。天かすがいっぱい入っている。つゆは関東風の濃い色で、辛そうに見えたが、そんなに辛くなく、歯切れのいいうどんとよく合って大変美味しかった。 私の住む滋賀県では「たぬきうどん」がメニューにない店が多い。京都の人に聞くと、京都では「あんかけうどん」のことを「たぬきうどん」と呼ぶらしい。 この小田原を含む北海道、東北、関東地方では「きつね」には揚げ、「たぬき」には天かすが入っていて、それぞれ、うどんと蕎麦があるという。 また、大阪、京都では天かすののったうどんを「ハイカラ」とも呼ぶらしい。 この「たぬきうどん」の分布地図と実物を日本全国探検したいものだ。

トウーランドット

 世の中は「イナバウアー」で沸いているが、もうひとつ忘れられないのが、その女子フィギュアで荒川選手が金メダルをとったときの楽曲「トゥーランドット」である。これは「誰も寝てはならぬ」を含む、トゥーランドットの旋律をヴァイオリンに編曲したものである。いま、携帯着ウタとして、この曲のダウンロードが2万を越したとか・・・また、この曲はトリノオリンピックの開会式で、オペラ歌手パヴァロッティによって歌われ、満場の観衆を魅了した。オペラに関して全く無知な私、今日はこの「トゥーランドット」を探検。
 先ず、「トゥーランドット」は「オペラ」であるということです。これはプッチーニの最後のオペラで、そして未完に終わったオペラだとういうことです。その最後の部分はプッチーニの友人アルファーノの手で完成された。オペラ「トゥーランドット」の物語は皇帝の一人娘で絶世の美女であるトゥーランドット姫は、求婚してくる男たちに対して3つの謎を出し、それが解けなければ首切りの刑に処すると言います。ダッタン国の王子カラフがトゥーランドット姫に一目惚れし、謎解きに挑戦、見事3つの謎を解く。このオペラは古代中国の紫禁城を想定して作られたと言われている。
 その落ち着いた雰囲気と演技を、「クール・ビューティ」と評された荒川選手、演技の最後に氷が溶けたような美しい笑顔を見せた・・・まさにトゥーランドット姫でした。

オッパ

 日曜ドラマの「輪舞曲(ロンド)」を見ている。複雑な物語だが、今回(2月26日)は特にややこしかった。チェ・ジウ扮するユナが神狗の一員だったとは!あの宋圭煥(ソン・ギョファン)の娘ではないか・・とは、このドラマの初めの方から薄々感じてはいたが、ユナが神狗の組織を知っていて、しかもその仲間で、組織のコンピュータープログラムの制作者だったとは?本当か・・という感じだ。そして、琢己は、龍吾に命じられた弟分のヒデ(佐藤隆太)に撃たれそうになるが、間一髪この場を逃げ出す。このヒデが琢己を呼ぶときに「オッパ」と言っているのだ。これはドラマのなかで、親しみをこめて「兄い」と言っている感じなのだが、韓国語では「兄」という意味なのか?韓国語で、オモニがお母さん、アボジがお父さんだということは私も知っていたが、「オッパ」は知らなかった。ネット検索したら、「オッパ」は女性が自分よりも年上の男性を呼ぶときの言葉なのだそうだ。それでこのドラマで、ヒデが琢己のことを「オッパ」と呼んでいるのはおかしいと、論議されているのだそうだ。

イナバウアー

 日本時間の今朝、閉会式が行われたトリノオリンピック。なんといっても荒川静香、なんといってもイナバウアーこの「イナバウアー」とはどういうところから来た言葉なのか?今日はこれを探検します。
 私の古い広辞苑には・・・載っていない。
 ネット検索・・・いろいろと載っている。人の名前だったのですね。1950年代に活躍したドイツのスケート選手、写真はなかった。

ヤクソ(ク)

 チェ・ジウが出ている日本のテレビドラマ「輪舞曲(ロンド)」を観ている。主役のユナ(チェ・ジウ)も西嶋ショウ[金山琢己](竹之内豊)も、二人ともが過去に不幸な運命を背負っている。その過去に押しつぶされそうになりながら、しかし今の信頼を築いてゆこうとする二人の苦しむ姿・・・。ふと日本と隣りの韓国との関係を思ってしまう。主題歌のなかの言葉「信じることから全ては始まる・・・」が心に痛く刺さる。このドラマのなかで、ユナとショウ(琢己)は時に韓国語、ときに日本語で話し合うが、韓国語を全く知らない私が気がついたこと、それはときどき同じような発音で同じ意味の言葉があるということ。「やくそく(約束)」とショウが言う。「やくそ」とユナが言う。末尾の「く」が韓国語では聞えないが、ほとんど同じ発音なのだ。この他にもよく似た発音の言葉があった。今、思い出せないが・・・

あやにく

 寒さはまだまだ厳しいが、陽ざしは明るくなってきた。クルマのラジオから「早春賦」の曲が流れている。思わず口ずさんでいる。「早春賦」【作詞】吉丸一昌【作曲】中田章

1 春は名のみの 風の寒さや  谷の鴬 歌は思えど  時にあらずと 声も立てず  時にあらずと 声も立てず
2 氷解け去り 葦(あし)は角(つの)ぐむ  さては時ぞと 思うあやにく  今日もきのうも 雪の空  今日もきのうも 雪の空
3 春と聞かねば 知らでありしを  聞けば急(せ)かるる 胸の思いを  いかにせよとの この頃か  いかにせよとの この頃か

この2番の歌詞の「あやにく」が私は分からなかった。「あやぎく」と聞えて手帳に「あや菊」とメモをした。春浅い時期に咲く菊だろうと思っていた。家に帰ってから調べるが、どうも違う。「早春賦」の歌詞を検索で出してみると「あやにく」となっている。「あやにく」とは何だ?今回は「あやにく」を探検。
 広辞苑にもちゃんと載っている。
あや-にく【生憎】①憎らしく思われるさま。意地がわるいさま。(へえーっ?)あなにく。山家集「あなーの花の心や」②あまりにも甚だしいさま。大鏡時平「帝の御おきてきわめてーにおはしませば」③折わるいさま。間がわるいさま。あいにく。重之集「ーなるや今朝の降る雪」ーごころ【生憎心】憎む心。腹立たしい心。意地わるい心。源行幸「いとけしからぬ御ーなりかし」
 「文菊」でも「綾菊」でも「彩菊」でもなかった。

萌え

 このところテレビなどでしばしば耳にする(または眼にする)「萌え」という言葉。私は使ったことがないが、現代と言う時代を知るためには重要なキーワードであるらしい。今日はこの言葉を探検。オタク族と呼ばれる人たちの隠語から広まったのだという。「萌え萌え~」と複数で叫ぶのだという。(私には理解できないが・・)「萌え」の反対語は「萎え(なえ)」であるという。広辞苑にはないだろうと思いつつ、引いてみると、やはり「萌え」はなく、「萌え出づ」があった。
 もえいず【萌え出づ】芽ざす。芽ぐむ。生ずる。「さわらびの(萌え出)づる春になりにけるかも」(万八)ネット検索ではくわしい説明があった。なお、最近発行された歌の友人の歌集名が『花萌え』、この「萌え」は、普通に草木が萌え出る、の萌えである。

つらら

 寒い日が続いて近畿でも軒から氷柱(つらら)が下がるのを見る日がある。この「つらら」、漢字では氷柱だが、当て字なのだろう。語源はどこから来たのか、今日はこれを探検します。先ず「広辞苑」を調べた。つらら【氷】①こおり。ひ。源椎本「ーとぢ駒ふみしだく山川を」②(「氷柱と書く」)雨雪などの水が軒・岩角などに滴る時、こおって棒のように垂れ下がったもの。たるひ。-いし【氷柱石】鍾乳石の俗称。つらら【列】(ツラツラの約)ならびつらなるさま。つらなりつづくさま。万一五「小船乗りーに浮けり」つらら・く【列く】[自四]ならびつづく。つらなる。記下「沖へにはをぶねー・く」等とあった。
 連なることから来た「つらつら」が語源らしいということが分かった。

たばしる

 美味しいお菓子を頂いた。うすいもちの皮のなかに大粒の小豆とクルミが入っている!!大津石山の銘菓だという。名前は「たばしる」この「たばしる」、あられがたばしる、という風に使うが、どういう語源なのだろう。
 先ず、広辞苑を引く。たばしる【た走る】《自四》(タは接頭語)勢いはげしく走り跳ぶ。ほとばしる。万20〔霜の上に霰たばしりいやましに・・〕とある。「たばしる」は「た走る」だったんだ!
 ネット検索では、このお菓子の本舗のサイトをはじめ、いくつかあった。
 雨や、雪は「降る」で、霰のみが「たばしる」となるように思う。このほかに「たばしる」を使うのは、矢玉などがあるようだ。それから子規の俳句「四弦一斉霰たばしる畳かな」は琴の音であろうか。たしかにそういう感じだ。さすがに子規!しかし、この「たばしる」は美味しい!コーヒーにも、渋~いお茶にもよく合う。

オイショウ

 最近の「ライブドアショック」関連ニュースで、初めて聞く証券用語がたくさん出て来ました。昨日カーラジオで聞いたのは「オイショウ」という言葉、これは漢字では「追証」らしい。例によって、広辞苑を見ると、【おいしょうこきん】「追証拠金」追敷(おいしき)におなじ。「建株」「代用有価証券」などの言葉もよく分からないが、追証とは要するにアパートを借りたりするときの敷金の様なものらしい。但し、アパートの敷金の場合は追加する必要などはないが、株の売買の場合は、その株価が急激に低下した場合に、この追証(追加証拠金)が求められる・という。ウーン

ケーココケーケー

 岡山弁だとか。図のような意味ですぞ。
 この地方(岡山)ではこの他に「うったて」というのがある。この「うったて」は書道の起筆の意味だとか!で、これを言葉として使うときは「出だしを大切に!」というような場合です。「それでは〇〇クンからうったてで始めてください。」というように。
 それからもうひとつ、中部地方の人のHPで出合った言葉に「むさらこい」があります。これはネット検索しても出てこなかったので、本当に一部地域限定の方言のようです。意味は「むさくるしい」とほぼ同じだそうです。

 今日の「東海道53次ウォーク」に、MKさんが興味深い諺を書き込んでおられた。それは「先人曰く 親は子供のことを道の長さほど思うが子は親のことを道の巾しか思はないと・・」というもの。丁度、今日、クルマで移動中、ラジオを聴いていたら(たまたま高校講座 現代文)「木ヲ植エル」という話だった。その話はなかなかよい話しで、目的地に着いてしまってもクルマのなかでしばらく聴いていたのだが、そのなかで親に関する興味深い話があった。それは、中国の諺で「前人が植えて後人涼し」というもので、意味は先の世の人が木を植えておくと次の世代の人が涼しい(これは木陰で涼しい、というだけでなく、その木から様々な恩恵を受けることが出来る・・というもの。)そこから、文字の話になり、「親」という漢字は「立ち木を見る」と書く。つまり親は子供のために木を植えてその世話をする・・ということ。子供は親が植えておいた木によって様々な恩恵を受けることが出来る・・・だいたいこういう話だった。いままで私は「親」という字を、子供がだんだん大きくなって外で遊びだしても、そばにくっついているのでなく、少し離れた立ち木の陰で子供を見守る・・・というところからこの字が成り立って(立つ、木、見る)いるのだとばかり自分勝手に解釈していた。しかし、本当の字の意味はもっと奥深いものだったのである!
 MKさんのおかげでいい事を知ることが出来ました。感謝です。

雪・こんこん

 今年は寒いので灯油の売れ行きがいいようだ。(わが家は主に石油ストーブ暖房)。売りに来るトラックが流す音楽の「雪やこんこ♪」。この「こんこ(こんこん、は間違いだそうだ。)」というのは、一体なんだろう?を探検する。雪の降る擬音としては「しんしん」というのがあるのだが・・・。
 先ず、例によって広辞苑から調べたが、【こんこ】は無かった。【こんこん】はあり、それを見ると、こんこん ①咳をする声。②堅い物を打つ音。③キツネの鳴き声。またキツネ(幼児語)。④雪または雨の降るさま。また【昏昏】①道理にくらいさま。②心がはっきりしないさま。うつらうつら。③深く眠っているさま。意識のないさま。「ーと眠り続ける」【渾渾・混混】①水の盛んに流れて尽きないさま。②水の濁るさま。③入りまじるさま。④物の尽きないさま。【献献】酒を酌み交わすこと。【滾滾】水の盛んに流れるさま。水がわき出て尽きないさま。・・・などがある。
 ネット検索では・・・漢字にすると分かりやすいが、これは「来む来む」の転化したものだという説が大半だった。つまり「雪よもっと降れ降れ・・」という意味なのだと言う。また「雪や来う来う」というのもあった。これも雪よもっと降れ降れの意味である。

2009年1月18日日曜日

嶺北・嶺南

 天気予報で、滋賀県など南北に分けて言う場合、滋賀北部と滋賀南部と言う。ところが隣りの福井県ではなぜか福井北部、福井南部と言わず、「福井嶺北、嶺南」と画面に表示される。

嶺北、嶺南という言い方を考えると高い山を境にしてその北を嶺北、その南を嶺南というのだろう・・と漠然と思っていた。しかしそれがなんと言う山を境にしているのかは知らない。今日はこの疑問を探検。
 ※南条郡から北を嶺北地方、敦賀市から西を嶺南地方と呼ぶということがわかった。この境界はどこにあるかというと、山中峠~木の芽峠~栃の木峠を結ぶ稜線である。

 私の知っている福井(武生)の人の言葉の特徴は、「あのおー、ほいでえー、ほいでのおー」と、この「ー」の部分のイントネーションが上がる。全体としてはのんびりと心が安らぐような印象だ。」

エルダー

 この頃よく聞く言葉に「エルダー」というのがある。デパートの販売戦略などで「エルダー世代に的を絞って・・」とか、「エルダー世代をどう取り込めるかに掛かっている・・」などと使われている。私は「エルダー」と聞くとぱっと頭に浮かぶのは、昔見たジョン・ウェイン、ディーン・マーティン共演の西部劇映画「エルダー兄弟」なのだが・・
 辞書には「先輩」としか載っていない。ネット検索してみるといろいろなことが分かった。
 ・・・「枯れて行く」という老後観とは違った感覚の持ち主達・・・とある。ということは、50代~70代でパソコンを活用して活発にコミュニケーションをしている私たちは「ニューエルダー」なのだろうか?そして、あの映画「エルダー兄弟」の「エルダー」もこういう意味だったのだろうか?それとも固有名詞だったのだろうか?謎は残る・・・

恋はしむ

 昨日の支社の歌会でこの「恋はしむ」を使った作品があった。「恋ほしむ」の誤用ではないか・・などと、いろいろ議論があったが、私は「恋ほしむ」は自分が誰かを、または何かを恋しく思っているとき(自力的に)。「恋はしむ」は何かが、または何かの事象が自分の心をそのように(或るものを恋しく)思わせる(他動的に)・・。と解釈し発言したが少し心許なく思っていた。で、帰宅してからいろいろ調べてみた。広辞苑では「恋ほしむ」しか載っていない。愛用の旺文社の古語辞典にもこの「恋はしむ」はない。 動詞活用表を見てもどう活用するのか、どうもよく分からない。そこでネット検索してみると、短歌作品にはその用例が多く載っている。勝手ながらその短歌作品のみ、ここにコピーさせていただくことにする。
◎「逢ふ期(ご)なき妻にしあるをそのかみの処女(をとめ)となりてわれを恋はしむ」窪田空穂
◎「柿赤き硝子戸ごしの暖き秋の日ざしは人を恋はしむ」長澤英輔
◎「紫陽花の散り得ぬ花の咲きつぎてすでに散りたる人を恋はしむ」井谷まさみち
 この他にもまだまだあるが、概ね私の解釈した意味、用法でまちがいなさそうであった。しかし文法的に斯く斯く然々であると、理路整然とその場で述べることが出来ないのはなんとも非力なことで恥ずかしいことである。

背広

パッチ----ステテコ----ズボンと来て、思い浮かぶのが背広。背広は日本語で背中が広いというような意味かと思っていた。カーラジオを聞きながら走っていたらNHKのアナウンサーがこの背広の語源を言っていた。それによると日本に洋装が入って来た明治時代、洋服は英国で仕立てるものと決まっていて、英国には服の仕立て屋が並んでいる通りがあり、その通りの名前が「セビルロー通り」で、ここで仕立てたのでその名が付いたのだという。この「セビルロー」を詳しく調べたら、ロンドンの中心地ウエストエンドにセビルロー(Savile Row)という小さな通りがあり、高級洋服店が多く並んでいる。一流の洋服はみなここで仕立てたので、セビルロー仕立ての洋服・・セビルローの服・・セビルロー服・・背広、となったという。

ステテコ

パッチが出たら連想ゲーム的に思い浮かぶのがステテコ。私はてっきり「カステラ」や「ズボン」と同じようにこれは江戸幕末にオランダやスペインの商人が持ち込んだオランダ語かラテン語だと思っていた。ところがステテコは日本生まれの言葉らしい。明治時代初期に落語家が丈の短いズボン下(股引)姿で舞台で、「ステテコドッコイ♪ステテコドッコイ♪」と踊ったことからこの踊りが「ステテコ踊り」と呼ばれ、そのとき履いていた短いズボン下をステテコと呼ぶようになったのだという。
ちなみに「ズボン」は仏語jupon(ペチコート)に由来する説が有力。

2009年1月16日金曜日

パッチ

 私は10月の中ごろからパッチを履いている。パッチは寒い時に男がズボンの下に履くものだが、この頃の若い男性は履かない。私の息子もいくら進めても履かない。この「パッチ」の語源は韓国語だとか、韓国ではズボンのことを「バジ」と言い、それが訛って日本でズボンの下に履く股引のことを「パッチ」と言っているのだそうだ。映画「パッチギ」のパッチギも韓国語で、意味は突き抜ける、乗り越える、頭突き・・だという。
 また、この頃、パッチと言うとパソコンの世界では違うものを指すようだ。「検索」で意味を見ると「コンピュータのソフトウエアなどの障害修正や機能追加ファイルの事。」などとある。