2015年6月24日水曜日

如才のない

「あの人は如才のない人だ」という場合、その人は、誰にでも人当たりがよく、気配りの行き届く感じのよい人を言うと思う。
 最近、文章を書いていて、この「如才ない」を使った。
今まであまり使っていない言葉なので、念のためにその意味が、自分の思っている通りかどうかを辞書で引いて確かめてみた。
「如才」は「如才ない」というように、打消しの言葉を伴って使うのが普通だ。
では「如才ある」という言い方はあるのか?
そもそもこの「如才」という語はどういう意味なのか?
今回はこの「如才ない」について考える。

じょ‐さい【如才/如▽在】
もともと「じょさい」は如在であった。つまり「在(いま)す如し」であった。
論語の「祭ること在(いま)すが如くし、神を祭ること神在(いま)すがごとくす」から来ているという。
眼前に神・主君などがいるかのように、謹みかしこまること。であるという。

その「如在」が誤って如才となった。
この「如才」は【気を使わないために生じた手落ちがあること。また、そのさま。手抜かり】であり、
その下に否定の語を伴って用いるのが通例である。
「如才ない人」で画像検索したら、たくさんのなかに、この井上順さんも居た。いかにも!と思ったので拝借した。

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