ということが12月3日に行われた。このスイングバイが成功したかどうかは、一週間程度あとにならないと分からないということだ
が、今回はこのスイングバイという言葉を調べる。
これはちょっと、スケートのショートトラック競技のチームパシュートで、チームのメンバーを自分の前へ手を引っ張って押し出すのに似ていると思った。
画像はJAXAのホームページから拝借した。
一昨日、テレビを見ていたら稲を刈ったあと、藁を自動的に梱包する機械というのか稲刈機の映像が映り、これは見たことがあるなあと思っていたら、その梱包した藁を積み上げて家を作る人が出てきた。
最近、都市での短時間ゲリラ豪雨による水害被害が多い。「ゲリラ豪雨」という言葉は大体意味が理解できるが、このゲリラ豪雨が何故起こるかについての説明の中で出てきた「マルチセル雷雲」という言葉はよく分からない。言葉を分解すると「マルチ」は「多数の」や「種々の」という意味である。「セル」は画像処理ソフトなどで「セルのプロパティ」などと言う、あのセルと理解していいのだろう。「表」を構成する一つ一つのマスのこと、つまり一つの塊の最小単位のことである。(近所の天気予報士に聞いたら、積乱雲のことを「セル」というのだそうだ。)で、「マルチセル雷雲」であるが、通常、雷雲は一個ずつ発生することが多い。一個の雷雲(つまり「セル」)は30分~1時間程激しい雷雨をもたらす。しかし、これが「マルチ」だと次から次へと雷雲が重なって同じところを通り過ぎるため、激しい雷雨が一箇所に何時間も続くことになり、洪水などの被害が出るのだという。そして最近はこの「マルチセル」型の雷雲がよく発生するという。都市でのヒートアイランド現象なども関係しているのだろうか。以上、今朝の「トクダネ」テレビの天気予報士、天達さんが言っていた「マルチセル雷雲」という言葉から考えたことです。
先日の吟行会での万葉歌碑の歌、「思乍 雖来々不勝而 水尾崎 真長乃浦乎 又顧津」思ひつつ来れど来かねて水尾が崎真長の浦をまたかへり見つこの水尾が崎や、真長乃浦が現在の何処であるか、ということは興味の深い問題だった。それと同時に崎と浦の地形的な使い分けについて考えた。水尾が崎は今の白鬚神社のあるところだという。白鬚神社のあるところは現在でも明神崎と地図にあり、「崎」である。
が突き出た尖端。・・・とある。では真長乃浦はどうか、これは今の場所でいうとどの辺りなのか、というと、今回お昼ごはんを食べた近江白浜やそのつながりにある萩の浜の辺りらしい。浦というと、私の印象としては「湾」のように陸地がへこんでいる場所かなと思ったが、ここの白浜や萩の浜の辺りを見ればもう少し広い範囲、「浜辺」というくらいの意味もありそうだ。広辞苑を調べると、【浦】海や湖の湾曲して陸地に入り込んだ所。一般に海辺。また、みずぎわ。・・・とある。
この「いたいけな」という言葉、「いたいけな子供・・・」という使い方はよく知っているが、最近読んだ本に「いたいけない子供・・・」という使い方がされていた。
いまが見ごろの(雨多いけど)桜、先日クルマでラジオを聴いていたら、天気予報の人がこの「さくら」の語源を語っていた。それは桜が咲く時期は農作業の始まる時期と重なり、農耕民族である日本では大事な食べ物である稲作の開始時期に開花する桜を神と同一視したことは想像に難くない。そして語源であるが、さくらの「さ」は、早乙女や、さみどり、と同じく接頭語で、「くら」は神さまの宿る場所という意味があり、神様は春になると山からおりて来て大切な食べ物の実る場所である田圃へとお出ましになる。その途中で一休みをされる場所が桜の樹なのである。つまり神様は「山」→「さくら」→「田」という順序で人間の近くへ来られる・・・というもの。イミダスにはのっていない。例えば、人を勧誘する時におとりの客(ニセモノの客)を用意しておくことを「さくら」という。これは桜は「ただ」で見ることが出来るので、ただで見る客をさくらというようになった・・・など(広辞苑)今年のさくらは雨によく降られています。神様も雨に濡れて寒いかも知れません。お酒でもお供えしてあたためてあげねば・・・・
世の中は「イナバウアー」で沸いているが、もうひとつ忘れられないのが、その女子フィギュアで荒川選手が金メダルをとったときの楽曲「トゥーランドット」である。これは「誰も寝てはならぬ」を含む、トゥーランドットの旋律をヴァイオリンに編曲したものである。いま、携帯着ウタとして、この曲のダウンロードが2万を越したとか・・・また、この曲はトリノオリンピックの開会式で、オペラ歌手パヴァロッティによって歌われ、満場の観衆を魅了した。オペラに関して全く無知な私、今日はこの「トゥーランドット」を探検。
日曜ドラマの「輪舞曲(ロンド)」を見ている。複雑な物語だが、今回(2月26日)は特にややこしかった。チェ・ジウ扮するユナが神狗の一員だったとは!あの宋圭煥(ソン・ギョファン)の娘ではないか・・とは、このドラマの初めの方から薄々感じてはいたが、ユナが神狗の組織を知っていて、しかもその仲間で、組織のコンピュータープログラムの制作者だったとは?本当か・・という感じだ。そして、琢己は、龍吾に命じられた弟分のヒデ(佐藤隆太)に撃たれそうになるが、間一髪この場を逃げ出す。このヒデが琢己を呼ぶときに「オッパ」と言っているのだ。これはドラマのなかで、親しみをこめて「兄い」と言っている感じなのだが、韓国語では「兄」という意味なのか?韓国語で、オモニがお母さん、アボジがお父さんだということは私も知っていたが、「オッパ」は知らなかった。ネット検索したら、「オッパ」は女性が自分よりも年上の男性を呼ぶときの言葉なのだそうだ。それでこのドラマで、ヒデが琢己のことを「オッパ」と呼んでいるのはおかしいと、論議されているのだそうだ。
チェ・ジウが出ている日本のテレビドラマ「輪舞曲(ロンド)」を観ている。主役のユナ(チェ・ジウ)も西嶋ショウ[金山琢己](竹之内豊)も、二人ともが過去に不幸な運命を背負っている。その過去に押しつぶされそうになりながら、しかし今の信頼を築いてゆこうとする二人の苦しむ姿・・・。ふと日本と隣りの韓国との関係を思ってしまう。主題歌のなかの言葉「信じることから全ては始まる・・・」が心に痛く刺さる。このドラマのなかで、ユナとショウ(琢己)は時に韓国語、ときに日本語で話し合うが、韓国語を全く知らない私が気がついたこと、それはときどき同じような発音で同じ意味の言葉があるということ。「やくそく(約束)」とショウが言う。「やくそ」とユナが言う。末尾の「く」が韓国語では聞えないが、ほとんど同じ発音なのだ。この他にもよく似た発音の言葉があった。今、思い出せないが・・・
寒さはまだまだ厳しいが、陽ざしは明るくなってきた。クルマのラジオから「早春賦」の曲が流れている。思わず口ずさんでいる。「早春賦」【作詞】吉丸一昌【作曲】中田章
寒い日が続いて近畿でも軒から氷柱(つらら)が下がるのを見る日がある。この「つらら」、漢字では氷柱だが、当て字なのだろう。語源はどこから来たのか、今日はこれを探検します。先ず「広辞苑」を調べた。つらら【氷】①こおり。ひ。源椎本「ーとぢ駒ふみしだく山川を」②(「氷柱と書く」)雨雪などの水が軒・岩角などに滴る時、こおって棒のように垂れ下がったもの。たるひ。-いし【氷柱石】鍾乳石の俗称。つらら【列】(ツラツラの約)ならびつらなるさま。つらなりつづくさま。万一五「小船乗りーに浮けり」つらら・く【列く】[自四]ならびつづく。つらなる。記下「沖へにはをぶねー・く」等とあった。
美味しいお菓子を頂いた。うすいもちの皮のなかに大粒の小豆とクルミが入っている!!大津石山の銘菓だという。名前は「たばしる」この「たばしる」、あられがたばしる、という風に使うが、どういう語源なのだろう。
今日の「東海道53次ウォーク」に、MKさんが興味深い諺を書き込んでおられた。それは「先人曰く 親は子供のことを道の長さほど思うが子は親のことを道の巾しか思はないと・・」というもの。丁度、今日、クルマで移動中、ラジオを聴いていたら(たまたま高校講座 現代文)「木ヲ植エル」という話だった。その話はなかなかよい話しで、目的地に着いてしまってもクルマのなかでしばらく聴いていたのだが、そのなかで親に関する興味深い話があった。それは、中国の諺で「前人が植えて後人涼し」というもので、意味は先の世の人が木を植えておくと次の世代の人が涼しい(これは木陰で涼しい、というだけでなく、その木から様々な恩恵を受けることが出来る・・というもの。)そこから、文字の話になり、「親」という漢字は「立ち木を見る」と書く。つまり親は子供のために木を植えてその世話をする・・ということ。子供は親が植えておいた木によって様々な恩恵を受けることが出来る・・・だいたいこういう話だった。いままで私は「親」という字を、子供がだんだん大きくなって外で遊びだしても、そばにくっついているのでなく、少し離れた立ち木の陰で子供を見守る・・・というところからこの字が成り立って(立つ、木、見る)いるのだとばかり自分勝手に解釈していた。しかし、本当の字の意味はもっと奥深いものだったのである!